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チェッカーズ 確執 藤井フミヤ 高杢禎彦 [チェッカーズ]

チェッカーズ 確執 藤井フミヤ 高杢禎彦

フミヤがライブで言っていた悪い思い出とは
高杢禎彦との確執のことで間違いないだろう。


藤井フミヤ 高杢禎彦.jpg


昨年の11月12日に藤井フミヤさんは、東京 渋谷 SHIBUYA-AXにて
復活!カウントダウンライブ 青春【50日前夜祭】
行いました。


「スタッフに、カウントダウンライブやりましょうと言われて、
お客さんが入るならと。最近、年越しそばを食べて、おせちを
食べる普通の生活に戻れたんですが(笑)」
と藤井フミヤさんは仰ってました。


この日のライブは30年間変わらない光景がそこにはありました。
当時10代だったチェッカーズファンも、フミヤと共に歳をとり、
今や30~40代が中心です。
そのファンを前に、フミヤは こう謝辞を述べた・・・


チェッカーズは良い思い出も、悪い思い出もありますが今となっては 良い思い出です。勝手に解散して、泣かせて、すみませんでした。 そのあと、どうなるかなと思ったけど、また戻ってきてくれて本当に感謝しています。


フミヤが言う【悪い思い出】とは

俗に言うフミヤ派高杢派との確執のことではないだろうか?

※フミヤ派は藤井フミヤと、弟の尚之、リーダーの竹内享、大土井裕二

高杢派は高杢禎彦と鶴久政治


藤井フミヤさんは、トーク番組などでチェッカーズ解散の理由を聞かれると、
個人名は出してないが
生き方が違ってきたから』と答えたそうです。

恐らくあの方のことを指すのだろうと思いますがね。

そして、確執を決定的にしたのが、元メンバーの一人である
高杢禎彦さんが出版した自身のガン体験告白本(暴露本)
だと言われています。

この本の内容が暴露本のような内容で、他のメンバーを名指しで中傷しているような
表現もみられた。
このことで更にメンバー間の亀裂が広がっていったそうです。


クロベエを送る会

フミヤ派は『クロベエを送る会』の発起人となりましたが、高杢派の二人は発起人になることを
拒否されたそうです。
(高杢派の二人は一般人として参列)

メンバーの葬式の時ぐらい建前でも良いから仲の良い素振りを見せてほしかったな。
そんなとこで わざわざ確執を浮き彫りにしなくても良かったんじゃない?
天国に行ったクロベエさんもきっと悲しんでいますよ。


高杢禎彦が出版した【ガン体験告白本】の内容
(一部)

藤井フミヤに関して
○印税を目当てにオリジナル曲をリリースし、デビュー当時から世話になっていた
プロデューサーを裏切った。

○夫人とバカンスを楽しむ為にチェッカーズを休業。

○高杢氏と ちゃんと話し合おうとせず、一方的に解散を宣言。



藤井フミヤさんと高杢禎彦さんは、幼稚園からの付き合いで大親友だったはず!

いつか この確執がなくなり いつか笑顔で二人が並んでいる姿がみたいですね。








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チェッカーズ 再結成 メンバー 藤井フミヤ 高杢禎彦 母親 [チェッカーズ]

チェッカーズ 再結成 メンバー 藤井フミヤ 高杢禎彦 母親

国民的人気バンドだったチェッカーズの再結成の可能性は!?


チェッカーズ ジュリアに傷心.jpg


藤井フミヤのチェッカーズ再結成計画?

去年行われた藤井フミヤさんの、歌手30周年記念ライブツアー「藤井フミヤ 30TH ANNIVERSARY TOUR vol.1 青春」でチェッカーズの再結成をほのめかす発言を
したことが話題になっております!

世間を騒がせたチェッカーズの元メンバー高杢禎彦との確執の行方は?・・・


福岡県久留米市の仲間たちで結成されたチェッカーズ。

1983年にデビューしてから約10年間の間、音楽シーンの一線で活躍してきたが、
1992年にファンに惜しまれつつチェッカーズは解散しました。

その解散の背景にはメンバー間の不和があったとされています。

デビュー当初の楽曲制作は、メンバー以外の人がやっていたそうですが、
1986年頃からは、メンバーが楽曲の制作を手がけるようになりました。

実はその頃からメンバー間の絆に亀裂が入り始めたそうです。

その事実が表に露出することになったきっかけは、
元メンバーの高杢禎彦さんが2003年に出版した『チェッカーズ』によって暴露されたからなのです。

「作曲は尚之とユウジが担当し、作詞はフミヤが担当していた。
このことにより彼らは莫大な印税を手にするようになった。
当然のようにメンバー間に所得格差ができた。」

同じグループのメンバーなのに、収入に差があることで不平不満が出たのでしょうね。
でも、作詞や作曲をしている人の方が収入が多いのは当たり前のような気もするのですが。

1992年にフミヤの意思で突然 解散の流れになった。

「解散すれば生活が苦しくなるメンバーが出てくるのは目に見えていた。
だから高杢禎彦は解散に反対した。
しかし、フミヤの意思は変わらなかった。」

そしてチェッカーズは解散・・・メンバーはそれぞれの道を歩むことに・・・


だが、今頃になってお藤井フミヤは、チェッカーズを再結成をほのめかす発言を
ツアー中にしていた。

昨年の12月19日の全国ツアーの大阪公演で、フミヤはデビュー30周年を
振り返りながら、これまで口に出さなかった高杢の名前を出し、
上京時のエピソードや、チェッカーズの楽曲について語りました。
蔵にしまっていたチェッカーズの曲を引っ張り出しました。 せっかく蔵から引っ張り出したので、今度は押し入れにでもしまっておこうと 思います。』と、再結成を連想させるような発言をしたという。

これは、いつでも歌えるように蔵ではなく押し入れにしまっておこうということですね。

チェッカーズ再結成の可能性が少し見えてきた?

でも・・・2004年には元メンバーのクロベエこと徳永善也さんが舌ガンで
亡くなられています。メンバーが全員揃わないのでチェッカーズの再結成はありえないと
業界で言われ続けています。

そもそも なぜ今頃になってフミヤさんが、チェッカーズの再結成を匂わせるのはなぜでしょう?

推測ですが こんな理由が挙げられます!

○バンド解散から20年の年月が経ち、自身のルーツを再確認するため

○介護施設にいる母親に心配させないようにするため
フミヤさんのお母さんは、現在80歳を超えて今は介護が必要なほど足腰が弱っているそうです。
お母さんは、フミヤさんの幼馴染である高杢さんとは仲良くしてほしいと願っているのです。

そして、フミヤさんが人生で最も輝いていたチェッカーズ時代の曲を歌って
お母さんを喜ばせてあげたいのですよ。きっと・・・


チェッカーズが再結成するためには色々な問題があるようですが
いつか またチェッカーズがステージで踊っている姿が見れると
良いですね。











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